貴女が写してくれた一枚に、心が揺らぎを憶えた。
それは始まりではなく、終わりが静かに始まる前触れのようで、
揺らぎ終えるまでの日々を、私は綴らずにいられなかった。
[プロローグ]
カーテン越しに差し込む日差し、それは夢の名残をそっと断ち切る刃のよう。
目覚めるたび,、現(うつつ)は少しずつ昨日から遠ざかってゆく。
喫茶店でマスターの淹れるコーヒーと
焼きたてのトーストが湯気と共に香り立つ。
二人の静かな朝の合図。それが一日の始まりであり、
ひとつの記憶の終わりでもあることを、私はまだ知らなかった。
木漏れ日の滲む路地を見つけると、彼女は音もなく踊り出す。
踊るというより、時に抗うように身体をゆだねる。
衣を脱ぎ、私にだけ向けるその表情は、
まるで最後の灯火のように優しかった。
この光景は一日に一度しか訪れない。
息をはく声さえ、呼吸さえ、遠くに感じる。
ただ感じるのは、あの瞳と、私の胸を叩く心音だけ。
レンズ越しに見つめ合うとき私は何かを遺そうとするように、
必死に彼女を写し続ける。彼女の理想には偽りがなく、
だからこそ、目を離すたび、彼女は前へと進んでしまう。
互いに触れ合い、色が、香りが、混じり合いながらも
決して溶けきることはない。近くて、遠い。
永遠のようで、終わりの気配に満ちている。
視ていた姿が違う姿に変わるとき私は静かに瞼を閉じた。
Tuioku
その名のもとにある日々を心の奥で掴み損ねながらも、
私はただ、それを手放せずにいた。
1夢の島
太陽は電車のライトのように眩しくて、
僕は目を細めるしかなかったけれど、
彼女は顔を上げて、そのまま微笑んだ。
夏の光を、まるで友達みたいに受け止めながら。
風がふと触れた彼女の髪は、空を見上げた鳥の翼のように宙を舞い、
ひとしきり揺れて、また肩に降りた。
そのとき、太陽が心にすとんと落ちた。







雨時雨。
朝、雨が降っていた。
けれど電車に揺られる頃にはもう止んでいて、
僕らは雲の隙間から差す光を頼りに歩き始めた。
車内で聴こえた鈴音のような笑い声は、
しばらく僕の耳から離れない。
一時経つとまた雨が降りだした。
生温い雨粒がときおり傘と足元を叩いては落ちて来た。
それでも彼女は振り返って笑い愉快な足音がピチャピチャと鳴る。
冷えたビールが、身体の内側から体温を奪う。
あのとき確かにあったぬくもりが、今では少しずつ、
静かに、胸の奥へ沈んでいく。
波の音と、遠くで響く電車の音。
帰り道、雨は止まなかったが、僕たちはそれを傘で遮らなかった。










歩く辞書
約束した時間に間に合わず、
僕は彼女を待たせてしまった。
到着後も、僕たちは待ち合わせ場所のあたりを、
惑星のように何度もぐるぐると回り続けていた。
ようやく出会えたとき、
ほっとした笑顔とともに、ドーナツとカフェオレを手にしていた。
テスト終わりの午後は残暑がまだ街を覆っていて、
歩きながらふと手に持ったカフェオレの容器を見ると、
ポタポタと水滴が落ち中身はもう空に近かったことに笑う。
「回らせてしまったせいで、喉が乾いたのだろう」
目の前の信号が青に変わったと思い渡ろうとした僕の前に、
彼女の腕が踏切棒のように落ち僕の体を支えてくれた。まだ赤だった。
次の信号で、僕たちの反対側に立っていたカップルの男性が、
同じように女性を止める光景を見て
「今度はあっちが止めてる」と耳元でつぶやくと笑った。
園内に入ると、ひんやりとした空気が体を包み
高い木々の影が足元に落ち、小鳥がさえずる。
どこか懐かしい気配に包まれながら、座る場所を探し
腰を下ろして、ドーナツを半分ずつに分ける。
カフェオレをひと口。
喉に落ちていくその味は、
幸せな時間の味だった。
少しだけ眠りに付き起きてはぼっとしたあと芝生の上で太陽が踊る姿は
まるで一人きりのメリーゴーランド。
帰り道、彼女の問いに一つひとつ答えながら歩くうちに、
彼女がふいに言った。
「君ってさ、まるで歩く辞書みたい。」
そう言って、また笑った。
あの日の言葉と笑顔は、今もまだ、
ページの奥に静かにしまってある。
夕暮れの空のオレンジ色の光が、会話の余白にそっと差し込んだ。
あのとき確かに、僕たちはページをめくった。互いの中に隠れていた意味を、
そっと、拾い集めるように。












海蛍
朝の電車。雨の名残が窓を曇らせ、
ゆっくりと揺れるリズムに身を預けながら、目的地へ。
潮の香りを予感したとき、心の奥がそっと目を覚ました。
駅を出ると、風が迎えてくれた。
あとはこの風に任せよう、とふと思う。
けれど、まずは空腹を満たすことにして、
駅で調べたピザ屋へ。
レモネードのシュワシュワが喉を駆け抜け、
ピザの香ばしさが満腹中枢をくすぐる。
彼女の口元に残るソースを、
陽の光がいたずらに照らしている。
お腹を抱えて笑いながら歩くと、
風の匂いが少しずつ塩を含みはじめ、
磯の香りが鼻先をくすぐる。
途中立ち寄った店でビールの栓をプシュッと開ける音が、
緩やかな午後の休憩と、ひとしずくの酔い。
そして、ついに海。音楽が流れ、歌い、
足元では波が踊っている。
防波堤の上を歩く彼女の影が長く伸び、
その上に寝転んだ背中が空に溶けてゆく。
横から聴こえる声が、
まるで子守唄のように胸を撫でる。
瞼を閉じれば、太陽が静かに降りていた。
凪いだ海。水面に浮かぶ海蛍たちは、
夜という名の航海にそっと出て行く。
その小さな灯りを、彼女は静かに見つめていた。
ワンピースが夜風にはためき、
その背中に、言葉にできない哀しみが揺れていた。
帰り道、ふいにかけられた一言がゆっくりと、じわじわと、
心の奥で溶ける。
まるで口に含んだままのチョコレートのように。
最後に立ち寄ったコンビニで何気なく買ったおにぎりの味は
これまでになく特別な味。
この町は笑い声が重なりあう交差点のようだった。
誰かが誰かに会いに来て、
そして、また誰かに見送られていく。
それがなんだか、とても優しく思えた。
また来よう。きっと。














ゴールドアワー
私は二つの太陽の光に、手と影を伸ばす。
ひとつは空の太陽。
もうひとつは、前に、時には横にいてくれる光。
けれど、どれだけ手を伸ばしても届かない。
光も、彼女の影も、指先をすり抜けていく。
彼女は前へ進み続けるから。
人間も光を蓄えられたらいいのに。
でも、それはできない。
だから私は、光を機械に閉じ込め、記憶に閉じ込め、
今日もその影を写す。
気分で変わる光と、
横にいてくれるもう一つの太陽と、
一緒にゴールドアワーを生きている。














浮雲
また朝の待ち合わせ時間に遅刻。
けどもう一つの太陽は笑顔。
歩きながら聴こえる秋の音色は重たくも繊細な音色。
公園の銀杏は風に揺らされライ麦のように触れ合い
落ち葉は髪を撫でるよにサラサラと落ちていく。
今日の時間はふんわりと浮雲みたいに流れていたのに
フィルムには一瞬の記憶を閉じ込められづ
写真家であることを忘れてはいけないという想いが込み上げる。
その想い一つで霞んでいく記憶も残り続けるから。













ごえん
このご縁と時間は大切にしたい。
まだ半年しか経ってないのに、今日そう思った。
私の全てを若い太陽が包み込んでくれる。
光の居場所を探し、笑い、喋り、寝る。
当たり前のようで当たり前にはない時間。















